水上勉先生を偲ぶ会・会員の秋田市 三浦さんからお贈りいただきました。これがうわさの「六舟」だそうです。種類はいろいろあるそうですが、この活性酒タイプが正真正銘のようです。ひらめの刺身で試飲会を開きたいと思います。参加のご連絡、お待ちしております。
以下、三浦さんからの報告です。 当地「刈穂」の会社で平成5年頃から 日本酒のシャンパン(活性酒)を醸造実験していて、 翌6年頃これを京都の料亭・梁山泊に送って試飲してもらったそうです。 ここで水上先生が口にされて、これは素晴らしいというお誉めの言葉をいただき、 これを機会に先生が「六舟」と命名されたそうです。 梁山泊のオーナー(橋本さん)が二回ほど来秋されているそうです。 この写真の酒が、水上先生の飲まれたもので、これこそ「六舟」です。 活性酒は非常に手間がかかるため生産量がすくないので、 醸造元では他の醸造酒にも了解を得て「六舟」という名前を使っているそうです。 この事実をお聞きした酒店の主人は、 平成元年から刈穂の会社で有志にて「出羽の雫」という酒を造られている方です。 人と人とのつながりが、あの銘酒の命名に至っている感じがいたします。 秋田市 水上勉先生を偲ぶ会員 三浦 #
by suijyoben
| 2007-06-27 22:51
| 水上勉作品
自宅から車で小一時間の距離にある、三方の石観世音菩薩へお参りをしてきました。小学生の頃に行った記憶はありますが、殆どおぼえていません。弘法大師が大きな岩に、一夜で彫ったという観音様がご本尊です。唐に渡る前に、弘法大師がこの地に来られ大きな岩を見つけ、その表面に観音菩薩を彫ったのですが、鶏の夜明けを告げる声で、右手が未完成のままほったらかしていかれたそうです。ちょっと無責任のような。残念ながらご開帳は33年に一回ということで、次回は平成38年とのことでした。そんなことを言われると、今すぐにみてみたいものです。この観音様は、手や足など体の痛いところを直していただけるそうで、木で作った足型や手型を借りて帰って、直ったら500円を供えて型を返しにくるというシステムです。水上勉先生の作品「はなれ瞽女おりん」のおりんが、下駄職人の平太郎と再会する重要な場所でもあります。それで若州人形座も公演前には、お参りに行っていますし、本堂には、有馬稲子さんの供えられた提灯も吊ってありました。ちなみに隣の提灯は、ここを故郷とする、元阪神タイガースの川藤さんのものです。金田正一名球会長のもありました。
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by suijyoben
| 2007-06-24 21:34
| 水上文学の故郷
「而今」という言葉は、水上勉先生がその晩年によくお使いになった言葉であります。過去でも未来でもなく、ただただ今を生きる というような意味の言葉だと思います。聞く所によると、道元禅師の正法眼蔵に出てくる言葉だそうです。その読み方ですが「にこん」と「じこん」の2通りあるようです。水上先生は「じこん」でした。明日できることは今日するな!がモットーの小生には、いささか辛い教えではあります。このブログも、明日でいいかなあ、と思いつつご無沙汰をしてしまいました。反省します。ところで、而今という清酒があるのですがご存知でしょうか。若い杜氏の方が研究された銘酒やそうです。水上先生とは関係が無いようです。もう一本、秋田県の銘酒に「六舟」(ろくしゅう)というのがあります。刈穂蔵独特の中硬水で醸した、きめ細やかな味わいの吟醸酒で、命名がなんと水上先生、ラベルの字も水上先生が書かれたものです。水上先生が整然と並ぶ六槽の酒槽(さかふね)を見て命名されたそうです。六は水上先生のお好きな数字だったかもしれません。愛犬の名前もロクですし、水上家の屋号は六左衛門。子供の頃は、六左のツトと呼ばれておられたそうです。 ちなみに、先生の故郷の岡田村には全69軒中、小原が25軒、松宮が13軒、堀口が10軒、斎藤が9件もあってその4種類で82%を占めますので、日常的には現在でも屋号で近所付き合いをしています。
さて、而今と六舟ですが、どなたか試飲していただいてご感想をいただけませんでしょうか。小生は酒に弱くて味を忘れるばかりか、我を忘れてしまいます。 #
by suijyoben
| 2007-06-11 23:40
| 水上勉作品
水上勉先生が、昭和19年から終戦まで助教をされていたのがここであります。大飯郡青郷国民学校高野分教場。東京から一緒に疎開してきたM女なる方と、一緒に住み込みされたようです。1年生から4年生まで22人ほどを、水上先生お一人で複複式授業をされていました。写真の校舎は当時の面影を残しているのですが、水上先生の教え子であった方にお聞きすると、当時とは内部の構造が少し違うそうです。そして現在は、農機具の倉庫になっています。直木賞を取られてから、同窓会に一度お帰りになって懐かしい方々と面会されています。作品や教え子であった方のお話からも、教師としての水上先生はなかなか適職であったのではないかと推測できます。赴任中に、一時召集されたのですが、除隊して終戦まで再び教壇に立たれました。世の中も戦中、戦後の混乱期でしたが、水上先生にとっても作家になる前の、悶々とした時代だったのではないでしょうか。JR青郷駅から青葉山に向って山道を1時間歩く距離に高野村があります。駅はあおのごうと読みますが、地名はせいきょうといいます。高校時代の同級生が、京都駅で「せいきょう一枚」と言って切符を買おうとしたのですが、「そんな駅はない」と駅員さんにいわれて困っていたことを思い出しました。
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by suijyoben
| 2007-05-28 23:08
| 水上文学の故郷
若狭大好きっ子さんのリクエストにお応えして、夕陽の青葉山を岡津から狙ってみました。実は2年前に撮った自信作があったのですが、ファイルが見つからなくて22日に撮りなおしました。夕陽の中に、青戸の入り江に浮かぶ青葉山は本当に絵になります。若狭富士とも呼ばれています。水上先生の作品では青我山でしたかね。 #
by suijyoben
| 2007-05-23 22:20
| 水上文学の故郷
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